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[特別企画]『ドラゴンクエストXI』内川毅 ×『モンスターハンター:ワールド』徳田優也 同世代ディレクターが語る「モノづくりの原点」


『ドラゴンクエスト』シリーズと『モンスターハンター』シリーズ。その最新作である『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』(以下『DQXI』)と『モンスターハンター:ワールド』(以下『MHW』)は、皆さんがご存じのとおり、2017年と2018年を代表するゲームタイトルのひとつです。

そして、この最新作を導いた現場の責任者であるディレクターの内川氏との徳田氏には、さまざまな共通点があります。
・入社して以来、同シリーズに関わり続けてきたこと
・本作が初めてのディレクターであること
・同世代であるということ
etc……

この2人の共通言語や原点を探ってみたい。

そんな単純な欲求から今回、対談の場を設けさせていただきました。
思えば1980年代前後に生まれた彼らは、物心がついたときから家庭用ゲーム機が身近にあり、ハードの進化とともに成長をしてきた最初の世代といっても過言ではありません。2人が大ヒットタイトルを任され、導いていく過程に至るまで、何に影響を受けて育ってきたのか。そしてディレクターとして何を選択してきたのか。
同世代の方には懐かしみや共感を、若いクリエイターやこれから業界を目指す方にはある種の指針になればと思います。
……とまぁ、かたく始めましたが、いつものNDW的にゆるく楽しい対談をお届けします。ハードの垣根をこえた特別企画として、お時間があるときにでも少しずつ読んでみてくださいね!

(取材・文:坂井一哉 対談場所:84)

 

目次
[ 1 ]幼稚園からファミコンに触れて/影響を受けた『ドラゴンクエスト』
[ 2 ]これまでに影響を受けたゲームたち/人生で最初にハマったもの
[ 3 ]子供の頃に作ったもの/宮崎駿監督に影響を受けて
[ 4 ]ゲーム業界に入ったきっかけ/会社に入って最初の仕事
[ 5 ]そしてディレクターへ/海外のユーザーにどう受け入れられるか
[ 6 ]『ドラクエ』らしさ、『モンハン』らしさ。/発売日を迎えて

内川 毅
1980年生まれ。スクウェア・エニックス所属。DS『ドラゴンクエストIX』からシリーズに参加し、3DS/PS4『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』で初のディレクターとなる。
ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて 公式サイト

徳田 優也
1979年生まれ。カプコン所属。PS2『モンスターハンターG』からシリーズに参加し、PS4/Steam/Xbox One『モンスターハンター:ワールド』で初のディレクターとなる。
モンスターハンター:ワールド

モンスターハンター:ワールド 公式サイト

 


―― お2人はこれまでお会いしたことはあるんですか?
内川 ご挨拶ぐらいですよね。関東と関西なのでなかなか。
徳田 同年代で『ドラクエ』のディレクターをやっている人がいるというのは聞いていて、とても気にはなっていたんです。そうしたら、「GAME CREATORS CONFERENCE’18」で内川さんが登壇されると聞いて。僕も会場にいたので、講演を見に行ったんですが、その内容にめちゃくちゃ感動しまして、「ぜひじっくりお話をしてみたい!」って思っていました。
内川 その会場で挨拶だけした感じなんです。僕も個人的に同世代ということもあって前からお話をしてみたかったので、今日はすごく楽しみにしてきました。
―― なんですか、その相思相愛感は(笑)。
徳田 だってね、その講演の内容が「俺がいちばんわかるわー!」っていうものだったから、涙が出てきて……って、いきなりこんな話から始めます?
内川 なんか恥ずかしいし、それもっと最後のほうにしましょう。
一同 (笑)

※GAME CREATORS CONFERENCE’18
2018年3月30日にグランキューブ大阪で開催されたゲーム業界向けの勉強会。徳田さんは「『モンスターハンター:ワールド』のゲームコンセプトとグローバルユーザーに向けた取り組み」、内川さんは「『ドラゴンクエスト』から教えてもらった11のこと」と題したセッションに登壇した

●幼稚園からファミコンに触れて

―― 最初はやっぱりゲームの話題から入ろうかと思います。僕も1979年生まれなのでわかるんですが、生まれたときから家庭用ゲーム機が身近にありましたよね。とはいっても、1983年発売のファミコンが最初の出会いでしたけど。
徳田 そうですね。自分もがっつり触ったのはファミコンが最初ですね。小学1年生のときに買ってもらったんです。『スーパーマリオブラザーズ』が欲しくて。
内川 流行ってましたしね。僕も『マリオ』をいちばん最初に買ってもらいましたよ!
徳田 いやそれが、僕のほうは売り切れで『いっき』を……
一同 (笑)
徳田 だって『マリオ』が売ってなかったんですもの(笑)。もうなんで買ったかなんて覚えてないですが、たぶん『いっき』って平仮名だったから読めたのかなぁ。

※『いっき』
年貢を取り立てる悪代官に立ち向かう百姓一揆を題材にしたアクションゲーム。百姓である権べと田吾の2人プレイも可能だった。同年稼働のアーケードゲームの移植(サンソフトより1985年11月28日発売)。[ニンテンドー3DS バーチャルコンソール(ファミコン版)][Nintendo Switch アーケードアーカイブス いっき(アーケード版)]

―― 内川さんは普通に『マリオ』を買えたんですね。
内川 というよりも、幼稚園のクリスマスの日に、父親がファミコンを買って来てくれたんです。で、そこに一緒にあったカセットが『マリオ』と『ボンバーマン』と『ポートピア連続殺人事件』でした。
徳田 3本はすごい!
内川 兄がいたのでセットだし、たぶん『ポートピア』は父親用だと思いますけどね(笑)。ただ今からその時のことを思い返すと、すごく運命的な出会いをしてたなっていう。
徳田 その時点で堀井雄二さんのソフトと出会っていると。
内川 そうなんですよ。最初のゲームが堀井さんだったんで、なんか運命を感じました。
徳田 『ポートピア』も含めて、全部遊んだんですか?
内川 やりました。『ポートピア』は、幼稚園児なんで文字もあまり読めない状態だったんですけど、虫眼鏡でいろいろなところを調べるとリアクションが返ってきましたよね。多少平仮名は読めたので、例えば太陽を見たりして、その反応を見ては笑ってました。なんかそんなのを繰り返していた印象はありますね。

※『ポートピア連続殺人事件』
『ドラゴンクエスト』の生みの親であるゲームデザイナー、堀井雄二氏が制作したアドベンチャーゲーム。1983年にPCゲームとして発売されたあと、家庭用ゲーム機に移植。ファミコンでは1985年11月29日に発売された。ちなみに太陽を調べると「わっ! むしめがねで たいようを みては いけないって、 がっこうで ならったでしょう。ボス!」と表示される。
©1985 ARMOR PROJECT/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

徳田 『マリオ』にはハマらなかったんですか?
内川 いや、実はその3本でいちばん遊んだのが『マリオ』でした。結局、アクションゲームの面白さが直感的で伝わりやすかったんですよね。好きすぎて、自分が使っていた枕もマリオ柄にしていたし、マリオの絵ばかりを描いてました。当時、引っ越して新しい幼稚園に行くことになったんですけど、最初は友達がいないじゃないですか。でも、マリオの絵を描いて皆に見せたら、「あいつスゲーぞ」って友達がどんどん増えていったんです(笑)。だからゲームは子供の頃から身近にあるものという認識でいます。
徳田 じゃあ最初に好きになったキャラクターはマリオだったんですね。
内川 マリオです。徳田さんは結局『マリオ』はやらなかったんですか?
徳田 『いっき』の後に念願叶って(笑)手に入れて、めちゃくちゃやりました。ディスクシステムもなんとか買ってもらって『スーパーマリオ2』とかも遊びましたね。

※ディスクシステム
ファミリーコンピュータ ディスクシステム。1986年2月21日に任天堂から発売されたファミコン用の拡張周辺機器。ファミコンのROMカセットに対し、媒体にディスクカードを起用、ソフトを書き換えることもできた。同時発売に『ゼルダの伝説』もある。

内川 この頃って、プレゼントは全部ファミコン周辺関係をリクエストしてましたよね。
徳田 でしたねぇ。
内川 クリスマスとかお正月に玩具屋のチラシが入っていて、それを見ながら「今年はどれにしようかな」ってワクワクして。ソフトの価格がどんどん高くなっていったから、兄貴とセットで買ってもらったりとか、親に買ってもらうための作戦を立てたりしたのをよく覚えています。
徳田 あ! 小学校3年生のとき、ファミコンカセットを買うためにお年玉の1万円を持って玩具屋に行こうとしたら、途中で落としたんですよ!
内川 それは最悪だ。
徳田 もうわんわん泣きましたよ。今、話していて思い出しました(笑)。

●影響を受けた『ドラゴンクエスト』

―― 内川さんは『ドラゴンクエスト』を当時から遊ばれていたんですか?
内川 もちろんです。いちばん影響を受けたゲームは『ドラクエ』であることは間違いないです。当時から僕には外せないソフトでしたね。堀井さんの作品との出会いこそ『ポートピア』だったわけですが、兄が先行してRPGというものを始めていたんです。
徳田 お兄さんが遊んでいたのが『ドラクエ』だったんですね。
内川 ええ。きっかけとして兄の存在はやっぱり大きいですね。最初は『ドラクエII』だったんですけど、僕は兄のプレイを隣で見ながら、レベル上げとふっかつのじゅもんの書き取りを担当してました(笑)。

※ふっかつのじゅもん
セーブ(冒険の書)がなかった時代、ふっかつのじゅもん(パスワード)でゲーム進行を保存、再開することができた。『DQXI』のニンテンドー3DS版で復活。

徳田 わりと重要なポジションですね(笑)。
内川 そうなんです。当時はそういう重要な役割を任されているという責任感があって、結構必死にふっかつのじゅもんを取ったり、武器を買ったりしてました。それが楽しかったんですよね。……今から思えば、兄貴に利用されてただけだなって思うんですけど。
一同 (笑)
徳田 僕も小学2年生ぐらいのときに『ドラクエII』から始めました。長男なんで、自分で遊んでましたけどね。
内川 じゃあレベル上げをさせて?
徳田 いや、女の子だし6歳も下なんでそんなこともなく(笑)。
内川 でも小2で『ドラクエII』はなかなかすごいですね。
徳田 逆に初代は大学生ぐらいになってから振り返りで遊んだんですけど、それ以外はリアルタイムでやってきましたね。『III』とかは店頭に並んで買ったりもしました。だから、『DQXI』のヨッチ族はやばかったですね。僕ら世代にドンピシャすぎて、つい寄り道をして全然本編が進まなかった(笑)。

3DS『DQXI』より、ヨッチ族。集めることで行ける迷宮をクリアすれば、過去シリーズの世界へと行ける

―― そういった学生時代に遊んでいたなかで、いちばん好きなシリーズは何になりますか?
内川徳田 『V』!
―― そろった!
内川 僕は揺るがないですね。『ドラクエ』はそれまで兄と一緒にやるのが基本だったんですけど、中学生になって『ドラクエV』で初めて最初から最後までひとりで遊べたんです。それに、ストーリーにゲームの可能性を感じました。人生というものをああいった形で落とし込む、そんな体験ができるんだと演出も含めてお洒落だなと思いましたね。
徳田 うん。皆そうだと思うんですけど、選択肢の重さとかゲームならではのインタラクティブな部分を感じさせてくれましたよね。
―― じゃあ、聞きます。初見プレイで、ビアンカとフローラのどちらと結婚しましたか?
内川徳田 ビアンカ!
内川 なんか面白くない答えになってしまった(笑)。でもね、やっぱりねぇ。
徳田 ねぇ(笑)。でも実は、僕が『V』でいちばんグッときたのはシステム面なんです。『ドラクエ』を好きで遊んでいくなかで、ずっとモンスターを仲間にしたいなぁと思っていたところがあって、その夢が叶った! というのが大きかったんです。小さい頃からゲームと並んで動物を飼ったり捕まえたりするのが趣味だったから、その感覚に近い遊びの部分があったんですよね。
内川 僕も一緒でモンスターシステムは本当に秀逸だなと思っていました。当時、スライムナイトが大好きで、日常生活の中で突然スライムナイトを仲間にしたくなったりしたんですよ(笑)。で、そうなると『V』をプレイして、仲間にすると不思議なことに最後まで遊ばないと気が済まない。だからなんだかんだと『V』は20回くらい遊んでいると思います。
―― リメイクの仕事が来ても完璧ですね。
内川 そうかもしれない。……でも、もしそうなったらまた話は変わってきそう。
一同 (笑)


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お話はまだまだつづきます→

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