『大逆転裁判』“巧ディレクターの出会いのコラム” 第4回「巧さんとゲーム」(2015年12月号より)

『逆転裁判』『大逆転裁判』シリーズの生みの親であるカプコンの巧舟さんが、『大逆転裁判』発売時にニンテンドードリーム誌上で連載していたコラム「タクミさんのササヤカな冒險」を再掲載。
巧ディレクターの“出会い”をテーマにした全6回、どうぞお楽しみください。

・記事は修正している箇所もありますが、基本は掲載時と同じものになります。

第1回 巧さんと“物語”
第2回 巧さんと“ホームズ氏”
第3回 巧さんと“マジック”
第5回 巧さんと“逆転裁判”
最終回 巧さんと“逆転裁判 その2”


第4回 巧さんと“ゲーム”

 こんにちは。今回のお題は“ゲーム”です。…考えてみると、ゲームを作るヒトの連載で、第4回に至るまで一度もゲームの話題が出てこないって、どうなんだろう…我ながら、ゆゆしき事態と言わざるを得ません。

 まあ、ぼくもオトコの子の“端くれ”というかむしろ“なれの果て”であるがゆえ、もちろんゲームは大好きでした。前回も書いたとおり、ぼくの少年~学生時代はおおむね“ミステリー”で塗りつぶされていたのですが…思えば“ゲーム”だって、その時期の思い出を彩る重要な一色だったのです。とはいえ…実は、ぼくが最も熱心にゲームを遊んでいたのは、本格的にミステリーと出会うよりも“以前”…この世に「ファミリーコンピュータ」が誕生する前後のことであり…乱暴な言い方をすると、ファミコンが世間に浸透するのに合わせて、逆にゲームの世界から遠ざかっていきました。今回は、そのへんのコトをお話ししてみます。

 ぼくが子供のころ…ファミコンが登場する前…ゲームはゲームセンターで遊ぶもので、当時小学生だったタクミ少年は「ゲームセンターは不良のたまり場だから行っちゃダメ!」と言われていた世代なのでした。それでも、たまには50円玉をにぎりしめて『クレイジークライマー』なんかを遊びに行ったりもしましたが…やはり、小学生が自由にゲームセンターに出入りできるワケもなく。そんなぼくがゲームを遊んでいたのは、なんと「パソコン」でした。

 当時はまだパソコンも黎明期…世間では「マイコン」なんて呼ばれていたような。新しいものに真っ先に飛びついて真っ先に飽きる父が発作的にマイコンショップで買ってきたのは「PC-8801」という、当時の最新機種。ハードディスクはおろか、フロッピーディスクドライブも発売されたばかりでトテモ高価。そこで、なんとプログラムのデータを“音”に変換してオーディオカセットテープに保存…というか録音していたという、そんな時代でした。…今となってはその“カセットテープ”も絶滅しているという…いちいち説明していたら話が進まないので詳細は省きます。とにかく、その頃の一般的なパソコンライフといえば、雑誌に掲載されたゲームの長大なプログラムを自分でパチパチとキーボードで打ちこんで遊ぶという、デジタルなんだかアナログなんだかわからないスタイルで…タクミ少年も、熱心にパソコンに向かっていたものです。

 そんな“ゲーム好き”な少年が、なぜゲームから離れていくことになったのか…そこには、とある事情があったのです。端的に言ってしまえば…それはある致命的な“読み違い”のせい。あれは忘れもしない、ファミコンが発売される2年前…1981年のこと。ぼくは、誕生日に「カセットビジョン」というテレビゲームを買ってもらって大ハシャギでした。これは、カセットをとりかえることで、『きこりの与作』『ギャラクシアン』など、いくらでも違うゲームが楽しめるという、革新的なユメのマシーンだったのです。しかしまさか、このシアワセが後日、ぼくの人生を大きく狂わせることになろうとは…

 それから2年後。“その時”がやってきました。「ファミリーコンピュータ」が発売されてから、タクミ家では、こんな会話が何度か交わされました。

「ねえ。ファミコン買ってよ、とうさん!」
「テレビゲームなら、もうあるじゃないか」
「でも。『ドンキーコング』が…」
「おまえには『きこりの与作』があるだろ?」
「…あるけど…」

 …《与作》をタテに、ついにファミコンを買ってもらえなかったという…なんたる大誤算。パソコンはいよいよフロッピーディスクの時代に入り、時代遅れのカセットテープ野郎の行き場はなく、さすがに《与作》にも飽きたぼくは…ついにゲームに背を向けて、“ミステリー”の世界へのめりこんでいくことになったのでした…なんたる数奇な運命。

 そんなぼくが、ひさしぶりにゲームを遊んだのは、大学生になってから。ゲーム好きな友人につきあって「スーパーファミコン」を買いに行ったのはいい思い出です。ひさしぶりに友人の部屋で遊んだゲームは、『きこりの与作』から衝撃的な進化を遂げていました…そりゃそうですが。ちなみにその友人は、ぼくがゲーム業界に就職するキッカケを作ってくれた男でもあり、ある種“人生の恩人”だったりするのですが…当時「カプコンという会社がいいぞ」とオススメしてくれた彼自身は涼しい顔でセガに入社、今でもゲームショウなんかで東京で顔を合わせると飲みにいく仲です。

 さて。思えば、ぼくの世代は『ブロックくずし』や『スペースインベーダー』といった黎明期から、ビデオゲームを遊んできました。そんな自分にとって最もインパクトのあった出会い…“原体験”はなんだろう、と考えてみると…小学生のころ、パソコンショップで見たアメリカ製のゲーム『MYSTERY HOUSE』ということになります。それまで、ぼくの知っているゲームといえば、インベーダーに代表される、単純なアクションで反射神経を競うもの。しかし『MYSTERY HOUSE』のゲーム画面には…ミステリアスな洋館のトビラがポツンと描かれているだけ。そして、画面の下に小さくヒトコト… 「ドウスル?」 …これは、《アドベンチャーゲーム》の最も初期のカタチで、好きなコマンドをキーボードから(英語で)入力するのです。「ドウスル?」…“OPEN”続けて「ナニヲ?」…“DOOR”すると…なんと! 目の前のトビラが開くのです! まあ、今にしてみれば「それがなんだ」のヒトコトだと思いますが…自分で打ちこんだ命令どおりのことが、画面内で起こったときの衝撃たるや、小学生のぼくにとってはまさに超弩級で…「すげェ! ドアが開いたぜ!」と、かわいらしく感動したものです。

 …そんなわけで、自分の手で冒険を進める《アドベンチャーゲーム》は、ぼくの中で別格の存在だったりします。そこに、大好きな“ミステリー”の要素が加わったら…それはまた、次回お話ししたいと思います。

1981年にエポック社から発売され、巧さんが初めて手にした家庭用ゲーム機となった「カセットビジョン」。『きこりの与作』は本体同時発売のソフトで、敵を避けながら木を切るアクションゲーム


 

第1回 巧さんと“物語”
第2回 巧さんと“ホームズ氏”
第3回 巧さんと“マジック”
第5回 巧さんと“逆転裁判”
最終回 巧さんと“逆転裁判 その2”

 


関連リンク
大逆転裁判 -成歩堂龍ノ介の冒險- 公式サイト
大逆転裁判2-成歩堂龍ノ介の覺悟- 公式サイト
逆転裁判シリーズ 公式サイト


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