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ソニック生誕25周年記念 ソニックチーム座談会 前編(2016年11月号より)


1991年に誕生した、セガの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は2016年に25周年を迎えました。そこで『ソニック』シリーズを長年彩ってきたキーパーソンのみなさんにこれまでの歩みを語っていただきました。

【ソニック25周年記念ソニックチーム座談会】
ソニック生誕25周年記念 ソニックチーム座談会 後編(後日更新予定)
記事は修正している箇所もありますが、基本は掲載時と同じものになります。


<ソニックチーム プロフィール(上の写真左から)>

サウンドディレクター 瀬上 純さん
『ソニックアドベンチャー』シリーズ、『シャドウ・ザ・ヘッジホッグ』などを担当
プロデューサー 飯塚 隆さん
1993年から、『ソニック』シリーズに関わる。現在は渡米し、シリーズの統括役を行う
アートディレクター/イラストレーター 上川 祐司さん
『ソニック』シリーズなど、おもにキャラクターデザイン・イラスト・監修を担当
サウンドディレクター 大谷 智哉さん
『SONIC THE HEDGEHOG』『ソニック カラーズ』『ソニック ロストワールド』などを担当


WHAT’sSONIC

1991年、メガドライブ(米国ではGENESIS)で第一作『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が発売。ゲームのスピード感と、主人公「ソニック」のクールなキャラクター性により、全世界で400万本を超える記録的大ヒットとなる。その後、さまざまなゲーム機向けに多数のシリーズ作品が発売され、現在に至る。

初代作(画面は3DS『3D』版)。丸まって敵を倒すアイデアから、主人公はハリネズミに。超音速の青いハリネズミは、どこだって駆け抜けていく!
 

PICK UP
3種類のソニック
主人公ソニックはドリームキャスト発売の『ソニックアドベンチャー』(1998年)でデザインをリファイン。それぞれ「クラシックソニック(左)」「モダンソニック(中央)」の呼称となり、20周年タイトル『ソニック ジェネレーションズ』では2人のソニックが同じタイトルで共演を果たしました。さらに近年『ソニックトゥーン』シリーズで登場した「トゥーンソニック(右)」が加わり25周年を迎え、現在に繋がっていきます。

 

ソニックというタイトルはただ25年経っただけではない

飯塚 『ソニック』が25周年を迎えられたことはモチロン嬉しいことですが、25周年って要するに1991年に誕生したものはすべてが25周年なんですよね。でも、『ソニック』は25年の間、毎年何かしらのゲームを出し続けてきています。これは、支えてくれたお客さんがいてくれたおかげです。もし新作ゲームを出せていなかったら、25年という年月の重みは今とはまた違ってくると思いますから。
瀬上 私も息の長いキャラクターの作品に携われていることに喜びをすごく感じてます。なかでも代表曲と呼ばれる楽曲をいくつも手掛けることができてよかった。
上川 「速く走る」という簡単なコンセプトの遊びが、四半世紀もの長い間、よく続いているなと。オリジナルのコンセプトを保ちながら、コンスタントにたくさん作品を提供できていること自体すごい。
飯塚 新作を待ってくれているお客さんがいて、我々がそこに向けて制作をして…。そのサイクルが25年間ずっと続いているというのは、すごいことですよね。2017年にもまた新作(※1)を予定していますし、その関係性をキチンと祝える状態での25周年目はすごく喜ばしいことだと思います。
上川 確かに。特に海外ではGENESIS(※2)を牽引するほどの人気を当時は得ましたからね。同じ時期、日本国内ではそこまで勢いはなくて。だから、25年も続くことは想像もしていませんでした。
瀬上 肌感覚がない(笑)。
上川 ないんですよね。日本から見ると、「海外は盛り上がってすごいなぁ」という感じで。だから、私が『ソニック』の仕事をするようになってもプレッシャーとかはなくて、目の前の仕事を一生懸命やる感じだったと思います。
飯塚 日本でいうと、セガでは『バーチャファイター』(※3)など、コンシューマよりアーケードが盛り上がっている時期でしたからね。アーケードは花形で。
瀬上 革新的でね。
飯塚 コンシューマはその移植先みたいな感じだったので、『ソニック』に携わることが決まった時はセガの看板を背負うというよりは、アーケードに負けない「いいものを作ってやろう」というチャレンジ精神のほうが私も強かったです。
※1新作
アメリカのサンディエゴで開催された、「Sonic 25th Anniversary Party」にて発表された、2017年に向けたプロジェクト2タイトル。ひとつはクラシックソニックが活躍する2D横スクロールアクションの配信専用タイトル『ソニックマニア』(2017年8月16日配信)。また、追加要素などを含めたパッケージ版『ソニックマニア プラス』も2018年7月に発売された。もうひとつは3Dアクション『ソニックフォース』(インタビュー当時はタイトル未定)。Nintendo Switch™、PlayStation®4、Xbox One、Steamにて2017年11月9日に発売。
※2 GENESIS
1989年に米国・カナダで発売された、16ビットの家庭用ゲーム機「メガドライブ」の北米地域での名称
※3 バーチャファイター
セガが1993年に稼働した、世界初のアーケードの3D格闘ゲーム。セガサターンに移植されたのは1994年のこと
 

みんな知ってた? 4人の不思議な関係

飯塚 私と上川は92年入社の同期なので初めて会ったのは入社式でした。でも新人の時に一緒にいたのは実際9か月ぐらいで、すぐアメリカに行くことになって。
上川 飯塚と一緒に仕事をしたのは…、確か『ソニックアドベンチャー』(1998年にドリームキャストで発売された、シリーズ初の3D作品)かな?
飯塚 『ソニックジャム』もやってたような気がするんだけど……?

メガドライブタイトルなど過去の全7本が収録されたオムニバス作品


上川 そうそう、やってる、やってる! 『NiGHTS(※4)』の制作が終盤の96年ごろに「ソニックチーム(※5)」に入ったんだった。
瀬上 『ソニックアドベンチャー』用に、白黒ロゴでPROJECT SONICが立ち上がった時期ですかね。…大谷、そのころ生まれてる?
大谷 さすがに生まれてます(笑)。僕が入社したのは99年なので一番後輩にあたりますが、『ソニックアドベンチャー』の制作が終わる頃にサウンドチームに配属されたのを覚えていますね。当時は瀬上さんが会社で寝泊まりしていたりして(笑)。だけど、上川さんにとっての飯塚さんのように、入社して1年後には瀬上さんはいなくなっちゃったんです。『ソニックアドベンチャー2』の開発で渡米して、それから日本に戻ってくるまで7年ぐらいの空白が…! 飯塚さんに会ったのなんて、もっと先なんじゃないかと思います。
瀬上 私は飯塚さんと上川さんの1年後となる93年に入社したのですが、そのときにはさっきの話にあったように、飯塚さんはすでに日本にいなかったんですよ。でも、当時、飯塚さんたちがアメリカで開発していた『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』の開発には、国内から私も関わっていました。
※4 NiGHTS

正式名称は『NiGHTS into Dreams…』。ソニックチーム制作で1996年にセガサターンで発売されたアクションゲーム。作品の音楽やキャラクターが、『ソニック』シリーズでカメオ出演したことも(画像は2007年発売のWii『NiGHTS~星降る夜の物語~』)
※5 ソニックチーム
セガのコンシューマゲーム開発部門のひとつで、『ソニック』シリーズや『NiGHTS』シリーズ、また『ファンシースター』シリーズなど多くのヒット作を生み出している
 

むかしむかし『ソニック』の制作現場

飯塚 瀬上も大谷も、曲は知っているけど直接本人との面識はしばらくなかったよね。「いい曲作るなあ」とは思ってたけど…。
瀬上 『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』の時は、FAXでアメリカの開発チームとやり取りしていましたね。
飯塚 当時、音楽は日本で作ってもらっていたんですが、デモテープが日本からアメリカに郵送で送られてきて、それを聴いてリストを見ながら「これは○○ステージの曲に合うな」とか、やってました。ある時、「瀬上」という名前がデモテープに書かれていて、それが初めて瀬上を知った瞬間でした。最初は「せがみ」かと思ってましたけど(笑)。
上川 字面はね(笑)。
瀬上 そのぐらいの距離感だったんです。その後はドリームキャストで『ソニックアドベンチャー』をわりと大所帯の開発チームで制作して、『ソニックアドベンチャー2』の開発タイミングで私が渡米することになりました。いざ行ってみると、向こうのチームはごく少人数で四六時中顔を突き合わせて作業している状況で、大きな家族のような状態での仕事ぶりだった。
飯塚 『ソニックアドベンチャー2』の時は最初ソニックチームからは11人でアメリカに渡ったんです。現地で5人ぐらい増員して、その規模で開発をしていました。慣れない異国の地でしたので、呑みに行くどころか、夕食も休みの日にどこかへ行くのもみんな一緒でという感じで。
瀬上 まさに合宿状態でしたね。
飯塚 当時は少人数ながらも「ワンチームで2年に1本ペースで新作を出していく」という使命のもと、アメリカで開発を続けていましたね。
瀬上 アメリカにいた当時は、チーム感といいますか、メンバーの結び付きが強かったのは、その人数だったから、ですね。
大谷 いまの開発現場の話でいうと、自分は曲をたくさん作らなきゃいけない期間というのがあるんですけど。会社に来てメールで必要な人と必要なやりとりを済ませて、あとはずっと制作に集中していて。「今日誰ともしゃべらなかったな……」、と帰ってから気づくという日がたまにありました。
上川 私も、今はチーム制のゲーム開発に関わらない作業が多いので、個人で終始完結できてしまう事が多いですね。それこそミーティングがなければ、朝きて作業して、「じゃ、おつかれ」みたいな(笑)。
飯塚 ゲーム開発の現場は違いますけどね。やっぱり、それなりにプログラマーやデザイナーの席に行ってああでもない、こうでもないとか言って……。
大谷 いや僕、ゲーム開発なんですけど。
一同 (笑)
瀬上 私たち4人の場合ですと、イベントで顔を合わせることも少なくないですが、それぞれに何かとやることが多いこともあって、こういった機会がないと実はゆっくり話さないんですよね。
 

大きく進化した『ソニックアドベンチャー』

上川 『ソニックアドベンチャー』が出たころって、ドリームキャスト向けということで、ハードのスペックが大きく向上した時期だったんですよね。表現できる幅が大きく広がることを受け、『ソニックアドベンチャー』の開発タイミングで、クラシックソニックから現在のモダンソニックにキャラクターデザインの変更を行いました。リファインについては奇をてらうのではなく、順当な正統進化を意識しています。頭身を上げることでアクションを大きく見せたり、リアルな質感の表現にしたり。キャラがしゃべるようになったので多様な感情表現ができるようにもしました。そういった要素を生かすためのデザインということで、モダンソニックは生まれたわけです。その結果、新キャラクターの追加や別タイトルとのコラボもしやすくなりましたし、お話自体もシリアスでハードな話ができるようになったりと、我々にとっても展開の幅が大きく広がったと思います。
飯塚 もともと『ソニック』は海外、特にアメリカが一番のマーケットでいまもアメリカを意識したシナリオ作りをしていますけど、『ソニックアドベンチャー1・2』は完全に日本人の感性で日本人が描いたシナリオになっているんですよね。『ソニックアドベンチャー2』で登場したシャドウは、『ソニック』シリーズを発展させるためにソニックにライバル的なキャラが必要だとずっと考えていたことから生まれました。
シャドウ

世紀の天才科学者によって生み出された究極生命体。ソニックとうりふたつの姿を持つ


 
上川 クラシックのスタイルでシャドウが出てきても、あまりマッチはしなかったでしょうね。
飯塚 新しいキャラクターは、次はどんなゲームにしようかコンセプトを考える段階で、ゲーム性の必然性があってから初めて新キャラが出てくる感じなんですね。
上川 「今度は空を飛べるキャラクターを入れよう」「泳ぐキャラを入れよう」など、遊びの部分がありきで。それを体現するために、デザインを制作していきます。
 
PICK UP
ソニックのシューズに注目!

1998年ドリームキャストの『ソニックアドベンチャー』でリファイン!
青色のカラーや目の色など細部も異なる「クラシックソニック」と「モダンソニック」の2人のソニック。リファインをした、上川さんが語ります!

上川 『ソニックアドベンチャー』で、ソニックは初めて写真に撮ったようなリアルな地形を走ることになりました。リアルなテクスチャーで表現されたグリーンの芝生の上を青い生物が走るというのは、実は画でみると違和感があって。モダンソニックになってから靴の裏にソールがあるのは、その違和感を取り除くためという理由です。ソールという細やかなディティールでも、それがあるだけでフィールドとソニックとの整合性がとれる。リアルな3D表現にすることで生じる問題点をクリアにするなど、必要性に応じた結果、今の姿(デザイン)になった経緯があるんです。
『ソニック ジェネレーションズ』より

 

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